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ナルニア国物語 / 第3章ーアスラン王と魔法の島ー

この映画の紹介は今回で3回目となります。
以前にも書きましたが、ず~~~っと、ず~~~っと昔の高校時代、アメリカに行ったものの、英語の勉強に四苦八苦していた留学時代、 お世話になったホストファミリーから紹介され読みはじめた長編大作が、「ナルニア国物語」でした。

当時、紹介されるままに読みはじめた物語は、私にとって、自分自身の不安定感を慰められたり、心の中に芽生えてくるさまざまな葛藤や苦しみまでもが、和らげられていく何かを感じ、不安な気持ちから徐々に解放されていった記憶があります。今でも、とりつかれたように読みふけっていた当時の自分を思い出すのですが、時間の経過とともに、少しずつゆっくりと難しいと思い込んでいた英語の単語が分かりはじめた時に味わった開放感は、当時の私には、とても大きな支えだったような気がします。
作家・海野弘氏「ファンタジー文学案内」(ポプラ社)によると、『ファンタジー物語は神様のいるものと、いないものという二つのタイプに分けてみることができます。そこから、「ナルニア国物語」を分析すると、この物語は、原作者C.S.ルイスのキリスト教への目覚めを反映している作品で、作品中最も重要な存在として登場する、アスランとはイエス・キリスト自身であり、神です。そしてまたアスランの国とは、神の国そのものなのです。また、「ナルニア国物語」と同時代に書かれた「ゲド戦記」「指輪物語」など、イギリスにはたくさんのファンタジー物語がありますが、神さまのいないファンタジーの代表が「ゲド戦記」で、それは、神さまのいなくなった現代の光と影を語ろうとしているのです。』と、大変、興味深いことが記されていました。

さて、前作の「カスピアン王子の角笛」上映から、すでに3年が経過していたことに驚いてしまいましたが、今回の第3章でも、現実世界とファンタジーの世界を行き来する不思議体験を存分に味わうことができました。

まだ、上映がはじまったばかりですので、残念ですが映画の詳細は少し控えさせていただきます。

が・・・・!!

今回の作品は、物語の中で唯一「海」が舞台となる作品です。
また、7作品ある物語の丁度、真ん中に位置するところで、とても重要な分岐点ともなります。

これまでの2作品では兄弟姉妹4人が必ず登場し物語で重要な役割を担ってきましたが、子どもたちはそれぞれの成長とともに、それぞれの道を歩みはじめようとしています。その成長とは、すなわち、現実の世界で生きることを意味しているのです。要するに「ナルニア国」は、現実世界の子どもしか入ることのできない国なのです。

第3章では、すでに現実世界で生きるようになったペーターとスーザンが登場しますが、私たちは、彼らが成長とともに「ナルニア」を忘れ、失ったことを意味している情景に気づくことになります。現実の時間と、ナルニア国の時間の差を強烈に印象づけられたとき、今回の物語の持つ意味が大きく浮き上がってくるのです。

そして大人になりかけているルーシー、すでに思春期に達しているエドマンドにも、ナルニア国との別れが近づいてきていることが今回の物語がはじまった途端、この航海が彼らにとっても、最後のファンタジーの旅になることが予測され、ちょっとドキッとし、言葉にならない何とも言えない思いに涙が・・・。

このように、成長にともなう戸惑いや憂い、そして、自己過信、また性への目覚めなど。誰もが通る道筋のひとつひとつに、「成長」という階段を駆け上がっていくと同時に、「ナルニア国」から遠くなっていく事実が、今回の作品では痛いほど伝わってくるのです。

まさしく、神の国への道は細く狭い・・・

しかし、神さまの存在を見失いがちな現代だからこそ、悲しみや苦しみを生き抜いていく、物語はまだまだ続くのでしょう。

それでは続きは、映画館で~!!

たちのゆみこ